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以前の社殿


消失後の仮社殿


現在の社殿


扇千影会長




ご 由 緒

創建年月は不明ですが、神功皇后が摂政元年二月の三韓征伐の帰途、ご神託により活田(いくた/生田)の神を長狭の国にお祀りせられる時に、同国ハヵ所に鎮座されている神々を東から順に巡拝された一社として、「四の御前の神」とご名付けをされたのであります。

ご祭神は天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)が素盞鳴尊(すさのおのみこと)と誓約(うけい)を された際にお産れになった五男三女神の一柱市杵島姫命、七福神の一柱といわれている弁財天をお祀り申し上げております。
広島県の安芸の宮島の厳島神社から勧請されたとありますが、宗像三神を祀る宗像神社とも関係があるようです。

其の後、永禄年間、摂津の武将荒木村重が織田信長の命令で花熊(隈)城を築くや、その鬼門鎮護の神に定められ、 城主より幣帛が捧げられました。
天正ハ年七月二日、花熊(隈)城の落城により、戦火を受けましたが、安政元年九月現在地に移転、再建され鬼門鎮護、福徳円満、 文学芸能の唯一の神として、特に芸能人、文化人の崇敬が篤く、「花隈芸者の名付けの神」として有名でありました。

明治三十八年六月二日、当地一帯の大火で再びその災害を罹りましたが、 同四十三年五月十一日、再度芸能人、文化人をはじめ当地の有力な崇敬老によってご造営されました。

当神社前に兵庫県政を司る県庁が置かれ、初代知事伊藤博文公も氏子に住まわれ、歴代知事の公舎も当神社氏子内に建てられ、 県政守護の神様として、県関係者からも崇敬され、昭和二年十一月十九日、「村社に列せられ」兵庫県知事の幣帛料指定献上往として、 歴代県知事が例大祭に参列されるようになりました。
昭和二十年六月五日の第二次大戦の空襲でその被害を受けましたが、昭和三十五年五月、当時の副知事金井元彦氏により復興奉賛会が結成され芸能人、 文化人、兵庫県民、神戸市民、氏子崇敬者から浄財を募集、昭和三十八年五月十日に現社殿がご造営されました。
境内の摂末社、三義稲荷神社は安政元年、ハ幡神社は安政二年、崇敬の篤い氏子崇敬者により、当神社境内に祀られました。

境内地は神戸市の都市計画により半減し、五百六十坪となりましたが、官公庁街の一角に、朱塗りもあでやかな社殿こそは、 人々の「いこいの場」「心のふるさと」として、その尊厳さを保っており、神戸市民より崇敬されています。

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